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Home > 政治 > 08洞爺湖サミット・カギ握る日本 > 北の国からのエッセイ

08洞爺湖サミット・カギ握る日本

北海道洞爺湖サミットに寄せて「北の国からのエッセイ(17)」 (2008.05.26)
 塩狩峠 

塩狩峠は、手塩の国と石狩の国の境界となる海抜274mの峠である。北海道の屋根、大雪山系から流れ出た水は、この峠を境に南に流れれば石狩川に、北に流れれば天塩川へと、それぞれ日本の5指に入る大河となって日本海に注がれる。

この塩狩峠で99年前の明治42年、予期せぬことが起きた。

汽車はいま塩狩峠の頂上に近づいていた。
深い山林の中をいく曲がりして越えるかなりけわしい峠で、
列車は後端にも機関車をつけ、あえぎあえぎ上るのである・・・
一瞬、客車がガクンと止まったような気がした。
次の瞬間客車は妙に頼りなくゆっくりとあとずさりを始めた。
客車は加速度的に速さを増した。
いままで後方に流れていた窓の景色がぐんぐん逆に流れていく。
不気味な沈黙が車内をおおった。
だがそれはほんの数秒だった。
「あっ、汽車が離れた」誰かが叫んだ。
さっと車内を恐怖が走った。
「大変だ、転覆するぞー」その声が谷底へでも落ちていくような恐怖を誘った。
「ナムマイダ、ナムマイダ・・・・」


三浦綾子の名作「塩狩峠」の足跡と面影を求めて5月下旬、文学と歴史の小さな旅にでかけた。
< 近くなった塩狩峠 >
旭川からさらに北30キロの塩狩峠には、一昔前なら一泊か、札幌を早朝発ち、夜遅く帰ってこなければ行けなかった。

けどいまは高速道路が延びて、塩狩峠のある和寒町(わっさむ)まで高速で北上する一直線の旅である。

とりわけ旭川から和寒までは、人どころか対向車すら会わない静かな森の中を、ひたすらバスは突っ走る。「動物に注意」というエゾシカの道路標識が、妙に現実味を帯びてくる。

札幌から途中一度小休止して2時間半、目的地の塩狩峠に着いた。

塩狩峠一体は「一目千本桜」で知られる桜の名所でもある。桜の見ごろの時期を狙って企画されたものの、今年は例年より2週間は早く花暦は進んでおり、桜はとうに終わっていた。

わずかに峠道の斜面に、真っ白な野花・オオバナノエンレイソウの咲き残りが観察された。当地にふさわしい花だと思った。塩狩峠に立つと、車両が逆送した線路が見渡せる。

敬虔なクリスチャンであった国鉄職員の長野政雄をモデルにした永野信夫はこの列車に乗り合わせていた。

事態の重大さを知って信夫は直ちに祈った。
どんなことがあっても乗客を救い出さなければならない。
いかにすべきか。
その時デッキにハンドブレーキのあることがひらめいた。
信夫はさっと立ち上がった。・・・・

信夫はこん身の力をふるってハンドルを回した。
だが客車の速度は落ちなかった。
みるみるカーブが信夫に迫ってくる。
暴走すれば転覆は必至だ。
次々に急勾配カーブがいくつも待っている。
たったいまのこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、信夫はとっさに判断した。
一瞬ふじ子(許婚)菊(実母)の顔が大きく目に浮かんだ。
それをふり払うように、信夫は目をつむった。
と、次の瞬間、信夫の手はハンドブレーキから離れ、その体は線路を目がけて飛びおりていた。
客車は不気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、遂に完全に停止した。


小説「塩狩峠」のクライマックスのくだりである。

キリスト教の人類愛、自己犠牲が見事に表現された一節でもある。自らもクリスチャンであった三浦綾子は、この地に立って長野政雄の思いを脳裏に深く刻みこんだことであろう。

そしてその思い入れが小説「塩狩峠」となって実ったのかと、峠に立ちながら私自身も小説の世界に入っていった。

ふと、静かな峠にはふさわしくない「ぽー」という音が聞こえた。峠に1時間に一本くらいしか通らない宗谷本線の列車の通過である。あえぎあえぎ上ったというSLではなく、スマートな気動車であった。

気動車は長野政雄が身を投げ出した線路を通過した。急勾配だった峠の線路は、事故後緩やかに改造されたという。

それでも峠から見える緩やかに下る線路には、当時の面影が十分に残っている。

峠のそばに長野政雄の殉職碑が立っている。時々三浦文学ファンが訪れる程度で、いつもはひっそりとしているという。

碑の前で円陣になりながら、三浦綾子読書会のコーディネーターの話しに耳を傾けた。毎年命日の2月28日、当地でささやかなアイスキャンドルの集いが開かれているという。

< 作家三浦綾子の誕生 >
峠には三浦綾子記念館がある。(写真右)

三浦綾子は朝日新聞の1000万円懸賞小説に見事当選した「氷点」の作者である。賞金額が当時としては破格であったこと、当選者が名もなき一介の主婦であったことから大きな話題となった。

2年後に社会に出た私の当時の初任給が3万円ちょっとであった。1000万円懸賞小説はよく覚えている。旭川に住んでいた三浦綾子は作家として活動するため、自ら開いていた小さな雑貨店を閉めた。

その時の雑貨店兼住宅が塩狩峠に移築され、記念館となっている。記念館には駄菓子が並べられ、玄関には昔のままの塩小売販売の看板が掲げられていた。

そして二階には、三浦綾子がペンを動かしたちゃぶ台が置いてあった。寒い冬の夜は蒲団に包まって書き、インク壷のインクが凍ったという。

それでも

「手を伸ばせば天井なりき。我等が初めて住みし家なりき」

「いいな、いいな、狭い家はいいな、トイレに入っても声が聞こえる」

旭川で初めて家を建てたときの喜びを、三浦綾子はこのように書いている。
< ユキヤナギ >
小説「塩狩峠」の主人公永野信夫は、事故に遭遇した日の夜、許婚のふじ子に結納を入れる日だった。ふじ子は名寄から旭川を経て、札幌に戻る信夫を待っていた。

生まれつき足が不自由ながら、健気に明るく生きてきたふじ子であったが、適齢期が過ぎても何の縁談もなく歳を経るにつれ、徐々にふさぎこみ、体は結核で冒されていた。当時結核といえば不治の病である。

そのような状況のときに思いもよらぬ信夫から求婚された。

ふじ子の兄で、信夫の生涯の友人だった吉川は、ふじ子への同情からくるものかと思って反対したが、二人の愛が真剣なものであることを知った。
病床に臥しているふじ子の家の雪柳をみて、信夫は「雪柳って、ふじ子さんみたいだ。清らかで、明るくて」

幸せの絶頂にあったふじ子に、信夫の突然の死が知らされた。そのときの気持はいかばかりのものであっただろう。息をこらしながら一気に読んだ若きときを思い出す。

(写真:ユキヤナギ・札幌)

吉川の母親と妻は、ワッと泣き伏した。
吉川は恐る恐るふじ子を見た。
呆然と、うつろに目を見開いているふじ子に、吉川は叫んだ。
「ふじ子!しっかりするんだ」
ふじ子はまばたきもしなかった。
すべての機能が停止したようだった。


四十九日が過ぎた5月、ふじ子は兄の吉川とともに塩狩峠を訪れた。

峠は若葉の清々しい季節だった。
両側の原始林が線路に迫るように盛り上がっている。
ふじ子は胸に真っ白な雪柳の花束を抱きかかえている。
ふじ子は、ふだん信夫が語っていた言葉を思った。
「ふじ子さん、薪は一本より二本のほうがよく燃えるでしょう。
ぼくたちも信仰の火を燃やすために一緒になるんですよ」
いまふじ子は思い出す言葉のひとつひとつが、大きな重みを持って胸に迫るのをあらためて感じた。
郭公の啼く声が近くで聞こえた。
低く飛んで枝を移った。

吉川は五十メートルほど先を行くふじ子の後からゆっくりとついて行った。
(かわいそうな奴)
不具に生まれ、その上長い間闘病し、奇跡的にその病気に打ち克ち、
結婚が決まった喜びも束の間、結納が入る当日に信夫を失ってしまったのだ。
(なんというむごい運命だろう)
そうは思いながらも、吉川はふじ子が自分よりずっと本当の幸せをつかんだ人間のようにも思われた。

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」

聖書の言葉が吉川の胸に浮かんだ。
やがて向こうに大きなカーブが見えた。
その手前に白木の柱が立っている。大方受難現場の標であろう。
ふじ子が立ち止まり、雪柳の白い束を線路の上におくのが見えた。
次の瞬間、ふじ子がガバと線路にうち伏した。
吉川の目に、ふじ子の姿と雪柳の白が、涙でうるんでひとつになった。
と、胸を突き刺すようなふじ子の泣き声が吉川の耳を打った。
塩狩峠は、雲ひとつない明るいまひるだった。


長編小説「塩狩峠」はここで終わっている。

今回のたびに同行解説してくれた北海道立文学館の名誉館長で、文芸評論家の木原直彦は三浦文学について次のように話した。

「三浦さんの小説は単純ではない。はじめは知らない、毛嫌いしているものが社会の空気を知る中で次第に転じてのめりこんでいく。その構成力のすごさは男では船山馨、女では三浦綾子において他にない。」

確かに塩狩峠でも、はじめ邪教として疎んじていたキリスト教に、主人公はのめりこんでいく。そこに男の友情と女の愛情を織り交ぜながら、読者をぐいぐいと引き寄せていくーー

主人公の名前永野信夫が、実在の長野政雄と紛らわしくさせたのも、三浦綾子の長野政雄に対する思い入れの深さの表われでもあろう。塩狩峠は400万部の大ベストセラーとなり、13ヶ国語に翻訳された。

来年は長野政雄が殉じてちょうど100年である。

世界的に著名な歌手がこの地を訪れて、アイスキャンドルが揺れる中を賛美歌を歌って追悼するという。

全国から三浦文学ファンというよりも、三浦信者が相当訪れることだろう。氷点下20度にならんとする厳寒の中でのアイスキャンドルの集い、当日は冷え込んでも晴れ上がればいいなと思いながら峠を後にした。

一度は行ってみたかった塩狩峠である。和寒の商店街には写真のようなワッペンが軒並み貼ってあった。

(寄稿=望田武司)

望田武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。



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