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08洞爺湖サミット・カギ握る日本

北海道洞爺湖サミットに寄せて「北の国からのエッセイ(19)」 (2008.06.09)
 アイヌ民族の先住民族決議 

アイヌ民族を先住民族とする決議が、今国会で6日、全会派満場一致で決議された。歴史的な出来事である。北海道に住んでいる人にとって、アイヌ民族が和人(大和民族)が住む前に居住していたことを知らない人はいない。それを今日まで先住民族と認めなかったことが不思議なくらいである。
< 先住民族 >
先住民族はもともと住んでいた土地で、生活様式も政治体制も自分たちで決めて生きていた。

それが侵入してきた他民族によって制圧され、自分たちで生きる権利を奪われてしまった民族が多い。アメリカ大陸のインディアン、オーストラリアのアボリジニ、最近では中国のチベット民族などもその範疇に入るのかもしれない。

昨年9月国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」は、奪われてしまったこうした民族の権利を回復できることを謳った宣言である。

これまで日本政府は「先住民族の定義があいまい」だとして、アイヌ民族を先住民族として認めてこなかった。今回の決議が自民党を含む超党派議員で発案、全会一致で決議されたことから、これまでのような態度は取れなくなるであろう。去年の国連宣言、7月の北海道洞爺湖サミット開催などが国会決議を促す土壌になったといえる。

アイヌ民族はいつごろから日本に住み着いたのだろうか。はっきりとした定説はない。ただ北海道だけでなく、東北地方にも地名がアイヌ語から由来するものが多数ある。

1995年、連合政権となった当時の村山内閣のもとで、官房長官の私的諮問機関として初めて設けられた「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会(座長伊藤正巳)」の報告書では「13世紀から14世紀頃にかけてアイヌ文化の特色が形成されたものとみられる・・・少なくとも中世末期以降の歴史の中で、学問的に見ても、アイヌの人々は当時の「和人」との関係において日本列島北部周辺、とりわけわが国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できない」と記されている。

[写真:アイヌの明治初期の生活様式を再現した平取町・二風谷(びらとりちょう・にぶだに)のユーカラの里]
< 日本単一民族国家発言 >
1986年、当時の中曽根総理大臣は国会で「国際人権規約の権利を否定・制限された少数民族はわが国に存在しない」と発言した。

この日本単一民族国家発言は、その後のアイヌ民族復権運動に火をつけるきっかけとなった。この発言の直後に札幌を訪問した中曽根総理とその周辺は大変緊張し、札幌での会見の冒頭釈明している。その10年ほど前は三菱重工爆破事件、道庁爆破事件、旭川風雪の像爆破事件、アイヌ民族解放戦線などというキーワードが新聞紙上に踊っていた時期である。

最近では次期総理候補といわれる元外務大臣が、同じような趣旨の発言をして、その後、釈明している。今回のアイヌ民族を先住民族とする国会決議で、日本は「大和民族による単一民族国家でない」ことを内外に宣言したもので、その意義は大きく、今後、日本は単一民族国家などという妄言は、政治家の人権感覚、国際感覚の物差しに使われそうだ。
< 日本人のアイヌ認識 >

日高の平取町にアイヌ文化博物館がある。平取町はアイヌとしては初の国会議員となった萱野茂さんの出身地で、道内ではアイヌの集積度のもっとも高い地域である。

数年前、博物館の関係者と懇談した際、本州から見える観光客のなかに、「アイヌの生活ぶりを見たい」と言われて困ると苦笑いをしていた。

確かにアイヌ部落は、平取の他に釧路の阿寒湖畔や、白老のポロト湖畔などにあるが、それらはみな観光用であって、アイヌの人は現在そのような萱ぶきの住居(チセ)には住んでいない。洗濯機も冷蔵庫もある自宅やアパートで、若者はジーパンや、夏ならTシャツ姿と、普通の日本人と同じ暮らしをしている。

ところがどうも観光写真でみる生活を、アイヌの人は今なお続けていると思っている日本人が多いらしい。それは外国人が日本に行くと、「頭にちょんまげ、腰に刀」を持った日本人が住んでいるのではないかと思うのと同じようなものだ。京都に行くと、厚化粧の芸肢さんがいつも歩いていると思ってるのだろうか。

これはまさに教育の問題だ。アイヌに対する偏見の現われでもある。
(写真:アイヌ口承文学の語り部と聞き入る観光客 6年6月)

< アイヌの人口 >

それではアイヌの人は、今どれくらいいるのだろうか。各種の調査があるが、正確な実態はつかめない。平成11年の北海道庁の調査で、2万3千人余という数字がある。

これは自ら自発的にアイヌであると表明した人数で、東京方面に住んでいる人や、就職や結婚などの差別を恐れて表明しない人は、相当数に上るものと推定されている。また逆に自分はアイヌだと思っても、明治の開拓期に置き去りにされた和人の子を、アイヌが育てているケースも相当数あり、実態の把握は難しい。

< アイヌとウタリ >

ところで「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」という意味だ。アイヌ語の「カムイ」が「神」であるのに対して、「人間」という意味が「アイヌ」だ。従って「アイヌ」という言葉には、もともと差別や蔑視の気持ちを含んだ悪意のある意味はない。

ところが明治以降本州からの移住者によって、「アイヌ」という言葉が侮辱的な意味で使われるようになった。このため、アイヌの人たちの組織である団体は、昭和36年、名称を「北海道アイヌ協会」から「北海道ウタリ協会」に変更した。「ウタリ」とは身内・親戚や仲間・同胞という意味だ。

しかし、自ら卑下して「アイヌ」という言葉を避けることはない。「人間」という立派な意味の言葉であるとして、つい先月、ほぼ半世紀ぶりに「北海道アイヌ協会」という名称に再び変更した。

< 北海道の地名 >

北海道の地名の多くはアイヌ語からきている。

明治新政府の役人がアイヌの言葉をそのまま漢字に当てはめたもので、担当したその地域の役人の漢字に対する素養によって相当の落差があり、ほとんどの人が読めない地名がある反面、霧多布(きりたっぷ)とか長万部(おしゃまんべ)大楽毛(おたのしけ)など実情にぴったりなものや、ユーモアのあるものまでさまざまだ。ところで「北海道もアイヌ語から由来している」というと、さぞびっくりされるだろう。実際、アイヌ語が語源である。

明治新政府は、札幌に北海道開拓使を設け開拓に乗り出した明治2年、それまでの「蝦夷」を改めることになり、当時、蝦夷にもっとも詳しかった探検家、松浦武四郎に、どんな名前をつけたらよいか諮問した。

これに対し武四郎は6つの案を政府に示し、そのうちの一つに「北加伊道」があった。アイヌの通称で「カイナ」という言葉があり、「カイ」は「この国に生まれた者」という意味で、「ナ」は尊称だ。武四郎は道北の手塩川を探検中、地元のアイヌの長老からこの話を聞いて「加伊」を地名に入れた。

「北」は「位置が北にあること」、「道」は東海道など、平安時代の地方行政区「五畿七道」の「道」からとった。明治新政府は「北加伊道」を採用したが、そのさい四面海に面していることから「加伊」を「海」にして「北海道」とした。「北海道」はアイヌ語から生まれた地名だったのだ。

稚内に近い道北の中川町を流れる天塩川沿いに「北海道発祥の地」という碑が立っている。私はその碑をみた時、名前の由来よりも、武四郎が北海道のこんな奥地にまで足を運んだことにびっくりしたものだ。(写真:中川町 6年7月)武四郎の書によると、丸太舟で天塩川を渡ると「頭を三角にした魚が無数に寄ってきた」と書いてある。

チョウザメだ。ロシアのアムール川などにいるチョウザメは、当時北海道にもウヨウヨいたことを示している。もっとも、チョウザメの卵・キャビアが貴重なものであったかどうかは、書いてない。

< アイヌの生活 >

松浦武四郎は江戸末期、北海道を何回も探検しており、当時、北海道に最も詳しい役人だった。北海道と一口で言っても、九州+四国よりも広い地域である。

北海道だけでなく国後から樺太まで足を伸ばしており、その後の北海道の政策立案に貢献した。身長145センチしかなかった武四郎がとても大きく感じる。

この写真は、旧北海道開拓使庁舎、通称道庁赤レンガに掲載されている松浦武四郎を描いた絵画である。赤レンガ庁舎が40年ほど前に、国の重要文化財に指定された時の記念として、北海道開拓の歴史を描いた20数枚の一枚で、武四郎が地元のアイヌの案内で、阿寒湖を調査している模様を描いたものだ。文化勲章受章者、岩崎英遠が描いた。旧長官室・知事室のすぐ隣に掲げられているこの絵画は、庁舎に掲げられているものの中で、一番の傑作だと思っている。

武四郎は三重の人で、その生家にある記念館の資料が、ことし国の重要文化財に指定された。「アイヌが16~7歳になると男女の別なく国後・利尻などに連行して働かせ、娘は和人の妾とし、夫がいれば夫を遠くの魚場にやって思いのままにする」言論が自由とは言えない時代に、武四郎はアイヌを虐げていた悪徳商人や松前藩を強く批判している。

明治新政府に招かれて北海道開拓の青写真を描いたホーレス・ケプロンは、室蘭から札幌に向かう途中、白老のアイヌ部落でアイヌと会う。ケプロンは、アメリカのインデアンとは違うその礼儀正しさにびっくりする一方で、悪徳役人の振る舞いを批判している。

歴史は本能寺の変や関が原の戦いで見られるように、勝ち組の立場から語り継がれている。明智光秀や石田光成はもしかしたらゆがんだ形で、後世に伝わっているのかもしれない。ところが対アイヌとの関係では、優位であった為政者側の資料からも、アイヌを差別冷遇したことが厳然として史実に残されている。

< 狩猟民族 >

アイヌ民族は、大和民族が農耕民族であるのに対し、狩猟民族であった。

つまり和人と接触がなかった時代は、狩猟と植物採集を中心に、自然と融和しながら蝦夷の国を中心に生活をしていた。

従って生活の場にある自然や動植物などに対して、敬虔な祈りを捧げる。ところが松前藩と交易をするころから差別が生まれ、明治新政府以降は同化政策の中で生きていく歴史であった。

17世紀アイヌと和人の交易はサケ100匹と米2斗樽が交換レートであったが、交易権を一手に握った松前藩はレートを3分の1に一気に引き下げ、これを不満とする日高のアイヌは松前藩と戦った。シャクシャインの戦いである。

形勢の悪かった松前藩は、津軽藩の応援を得て盛り返し和睦するが、和睦の席の宴で酔ったアイヌの出席者を皆殺しにした。(写真:シャクシャイン像 新ひだか町 6年6月)以降アイヌの勢力は急速に弱まり、魚場労働者として酷使される。明治以降は、旧土人保護法による同化政策の下で、民族の尊厳や誇りを無視され、いわれなき差別のもとで苦しい生活に追いやられる。

白老の寺の境内に、20世紀のアイヌの詩人、森竹竹一の歌碑があるというので2年前訪れたことがある。差別に苦しんだ森竹は、アイヌ青年の心情を赤裸々に告発した熱き詩人として知られている。寺を訪れたときには歌碑を見つけることができなかったが、その後、地元の学芸員から、歌は墓に刻み込まれていることを知らされた。

何時までも 眠らずウタリよ 起ち上り 未来に生きる 道を拓こう

このように墓石に刻まれている。その横に 同族(ウタリ)の 幸を祈りつ 君は逝く という森竹の妻の一文が刻まれている。

< 民族の悲劇 >

世界の歴史は古今東西、民族同士の憎悪、蔑視、不信などからくる偏見で紛争を繰返している。

冬季五輪を二回やったオーストリア・インスブルックのジャンプ台近くにあるチロルの英雄の像(写真左:3年10月)を見ると、新ひだか町のアイヌの英雄シャクシャイン像を連想させる。

最近では「民族のるつぼ」で知られる陸続きのボスニアヘルツェゴビナの凄惨な民族紛争などが記憶に新しく、中東やアフリカではいまだに紛争が続いている。

そのような世界の紛争を知るにつけ、民族問題の生じない島国・日本は恵まれていると思っている日本人が多い。島国根性というか、平和ボケというのか、歴史を直視してこなかった日本の政治と教育の結果である。きょうの国会決議では「政府はアイヌの人々を・・・独自の言語・宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること」と明記された。

国権の最高機関がアイヌ民族を先住民族とする決議は、これからの日本の教科書編纂にも影響を与えることになるだろう。国会決議によって今後どのような問題が生ずるか、政府がどのような対策をとっていくのか注視する必要がある。

毎年秋に行われるシャクシャインの法要祭は、だまし討ちにあった近くに建てられたシャクシャイン像の前で行われる。歴史的な年となった今年は大きく盛り上がることだろう。

観光ボランティアをしてると、「アイヌについて知りたいが資料館はどこにあるのか」などの問合せが、この数ヶ月間増えているのを肌で感じる。

< イオルの再生 >

狩猟民族だったアイヌは森や川から食物だけでなく、衣服の材料、医薬品、狩猟の道具を作った。そしてコタン(部落)を中心にして森や川など生活の場であった地域を「イオル」と呼んでいた。

アイヌ文化が風化されようとしている中、こうしたアイヌ文化、生活様式を見直そうという動きがでている。白老町に続いて新ひだか町静内でも、こうしたアイヌの伝統的生活空間・イオルを再生する取り組みがはじまった。

2年前、平取でアイヌ料理をご馳走になる機会があった。オオウバユリの鱗茎で作った主食など、植物性繊維たっぷりの料理をバイキング方式で試食した。自然はすべて神の贈り物だとして敬いながら、自然の恵みを享受していたアイヌの生活は、現代人が苦しんでいる生活習慣病とは無縁だなと、わが体型を思いつつ感じた。いずれ健康食として脚光を浴びるかもしれない。

(寄稿=望田武司)

望田武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。



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