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Home > 政治 > 08洞爺湖サミット・カギ握る日本 > 北の国からのエッセイ

08洞爺湖サミット・カギ握る日本

北海道洞爺湖サミットに寄せて「北の国からのエッセイ(24)」 (2008.07.01)
 道北の孤島 天売・焼尻島(上) 

北海道北部の日本海にぽっかり浮かぶ島といえば、利尻・礼文島を連想するが、その南に豆粒ほどの島が二つある。

天売島(てうり)と焼尻島(やぎしり)だ。知名度はぐんと落ちる。選挙になると、海がしけて開票に間に合わない恐れがあるため、北海道で唯一繰上げ投票が行われるところである。

船がでる羽幌からは25km、この島の夏の自然を観察しようと、先週末、泊りがけで出かけた。
< オンコの島 焼尻島 >

焼尻島に行くには昔は羽幌から船で1時間以上かかったが、いまは高速船が走ってわずか30分で結ばれている。

周囲12キロの焼尻島はオンコの森で知られている。オンコは本来まっすぐ高く伸びる木であるが、ここではみな地面を這うように枝を広げて生長している。

樹齢は300年はあるというオンコが長きに渡って風雪に耐えた結果、このような姿になったという。オンコだけではない。

どんぐりで知られるミズナラも、風雪に耐え、光を求めて根元からくねっている。大木がいとも簡単にこのように曲がりくねるのかと驚くとともに、当地の冬の厳しさが強く感じられる。

奇岩ならぬ奇木の連続だ。面白いことに、これらの典型的な木に、それぞれ名前がついている。上の写真のオンコには「名木・見返りのオンコ」という名がついていた。

また右の写真のミズナラには「名木・知恵の輪」という名がついていた。オンコの森を歩くと静寂そのものであるが、何かを語りかけているような気がするから不思議だ。

これらの手付かずの原生林は「稀有の森林植物相」として、国の天然記念物に指定されている。

< 聖徳太子の持ち物 >

オンコは葉の先がとがり、赤い実をつける常緑樹である。(写真:7年10月 札幌市内)北海道ではオンコと呼び、アイヌ語からきたという説が有力であるがはっきりしない。

植物図鑑にはイチイとして掲載されている。聖徳太子は胸にしゃもじのような小道具を持っている。笏(しゃく)といわれている。

仁徳天皇の時代に、正一位などの高官に持つことが許された笏を作る材料であったことから、イチイといわれるようになったという。風格がある上、刈り込みにも強いことから、一流ホテルやお役所の車回しの植え込みに、よく植えられている。

また 明治から大正時代に、白樺派とアララギ派という作家集団があったが、アララギとはイチイの別名である。自然主義派と生活重視派の作家集団に、それぞれ樹木の名がつけられたと思うと趣もでてくる。

< 日本初の英語教師 >

鎖国政策をとっていた日本に、開国を求めてアメリカ・イギリス・ロシアなどの船が圧力をかけてきたのは幕末のころである。

江戸幕府が倒れる20年前、焼尻島近海を航行していたアメリカの捕鯨船から、一人の若者がボートに乗って焼尻島に漂着した。マクドナルド君、24歳。

彼はその後、利尻島に渡り、松前藩に捕らえられて北から南の長崎に移送される。長崎で彼は監獄生活を送りながら、役人に英語を教え、その教え子がペルー来航の際には、主席通訳として活躍したという。

開国の際、重要な役割を担った英語通訳の原点が、政治とは全く無縁の、ほとんど人が住んでいなかった孤島・焼尻島にあったと思うと歴史は面白い。吉村昭の「海の祭礼」に詳細されている。日本で最初の和英辞典を作ったマクドナルド君は、その後本国に戻っている。

写真は左が焼尻島、右が天売島である。人口は焼尻が300人、天売が400人ほどで、漁業と観光で生計を立てている。植物で知られる焼尻島が「静なる島」なら、海鳥で知られる天売島は「動なる島」である。すさまじいばかりの生存競争が毎日繰り広げられていた。(つづく)

(寄稿=望田武司)

望田武司(もちだ・たけし)1943年生まれ 新潟県出身
1968年NHK入局 社会部記者、各ニュース番組デスク・編責担当
2003年退職し札幌市在住、現在札幌市の観光ボランティアをしながら自然観察に親しむ。



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